めんどくさい重い話を田中兆子の「甘いお菓子は食べません」のレビューに載せて召し上がれ

最近つくづく思うのはお酒って本当にありがたいな、ということ。寝れない時に浴びるように飲めばどんな気分の時でもぐっすり寝れる。もはや寝ているというよりも気絶している状態に近くて、夜を早く終わらせてしまいたいという欲求が満たされるだけありがたい。こんな生活をもう5年ぐらいは続けている。はじめはビール1本で十分だったものが最終的にはウォッカを週に2本空けるまでいったときもある。その時は酒を飲むと心臓が痛くなって本気で死ぬかもしれないと思って1週間程度の断酒をした。その後は度数を下げて焼酎で我慢している。

アルコールの禁断症状が出るまでは進行していないが、依存症なのは間違いない。かといってこれを治療したいという思いはまったくない。

こういう暗い話は現実には吐き出せないのでここで書くことで改めて自己認識を深めようという作戦。そもそもこれを書こうと思ったのは田中兆子の「甘いお菓子は食べません」を読んだせい。6編からなる短編集ですが中のひとつ「残欠」という短編が秀逸すぎて刺さっている。
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以下、作品のネタバレです。オチまでバレます。ご注意。

 この「残欠」は3歳下の夫と中2の息子を持つ主婦の話。煎茶を飲みながら新聞をゆっくりと音読するシーンから始まる。彼女は料理の献立を考えたり、掃除用のハタキを手作りしたり、米のとぎ汁でフローリングを磨いたりする、朴訥とした時代から取り残されたような生活を送っている。ある日、夫が忘れていった携帯に見知らぬ女性から電話が入り、彼女の日常に亀裂が入りだす。というストーリー。

なんだ旦那が不倫する話かと思いきやここからとんでもないドライブ感のある展開が始まった。旦那が外でセックスをしていることをすでに知っていたが、夫に深い感謝と諦念を持っている、という。そして不思議なほど心穏やかだ、とも言ってのける。なぜ彼女がそう考えるのかは、唐突に明かされる。アルコール依存症で子育てを放棄し旦那の介抱のお陰で立ち直ったという過去を。あーなるほど、と。今まで散々迷惑を掛けたから今更なにも言えないね、という。今の穏やかな彼女の語り口で、過去にいかに自分が酷いことを家族にしたかが語られると、そのギャップの大きさに衝撃を受ける。一本の電話から入った亀裂が、表面上は穏やかだった家庭を崩していく様が見事で非常に面白かった。浮気をする旦那を責める筈の妻が、実は罪を償っている最中であったという、被害者であり加害者という2面性は人の欲を浮き彫りにしていて興味深い。

人生を諦めるセリフとしてこれを引用しておこう。この文章をもの凄く気に入っている。

枝豆は見ない、ポテトフライは上げない。ビールが飲みたくなるから。ジューシーなステーキは食べない。赤ワインが飲みたくなるから。とろりとした刺身は食べない。日本酒が飲みたくなるから。チーズも焼き鳥ももつ煮込みも食べない。飲めばくだらない話ばかりして笑いあった幼馴染みとは昼にしか会わない。夜、酒を飲まずに楽しく過ごしたとしても、その後で何かが絶対に足りなくて泣きたくなるほど落ち込むから。仕事はしない。どんな単純作業のアルバイトでも、終わった後の一杯がどんなにうまいかを思い出して気が狂いそうになるから。夕方は出歩かない。月は眺めない。山は登らない。温泉には行かない。夜にジャズは聞かない。落語なんか決して聞かない。村上春樹川上弘美の書いたものは読まない。小津映画は観ない。おせち料理はつくらない。徳利やワイングラスは割って捨てた。ドレスも捨てた。パーティーには二度と行かないから。コンサートは行かない。お祭りには行かない。夜に夫と二人で出かけないー。

それらを死ぬまで諦めることにした。 

 すべてを諦めた結果、生きる欲も色あせて、死ななから生きている状態。これはアルコール依存症という設定を変えても理解出来る話で、共感しっぱなしだったわ。最後、彼女は酒の力を借りずに感情と吐露することで、同じく感情を隠して妻をサポートしていた夫の弱々しくゆがんだみずみずしい顔を得て終わる。諦念から一歩踏み出したようで、その先はまた地獄かもしれないけどとにかく停滞は終わり。というエンドだと思うんだけど、どうなんだろうね。読み終わってから、そもそも幸せってなんだろうねと思うわ。

おしまい。

甘いお菓子は食べません (新潮文庫)

甘いお菓子は食べません (新潮文庫)

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